2009-02-11

風邪

たとえば拵えたての根菜料理を味するときの苦汁が、細菌やウイルスだのを顕微するための明暗や濃淡と同調しながら視るもの触れ得ぬものとしての根という存在をあらためて浮き彫りにしようとするときでさえも、わたしたちの末梢は傷み腫れ爛れながらも柔らかく赤らんだ生長を求め続け、時に声を発し、それを歌と呼ぶような呼吸をいとなみ続けて居もしてきたのだろう。それはまるで昼夜を徹して道化や奇術すなわち驚愕と感謝を以て為される欺術というものが今日その本来の力を喪いかけてふうじゃ、ふうじゃと野邊にあらわれ溢れ留まり常世の逢瀬を念って成仏できない女の幽霊たちが厳しく咳き込んでいるようなものに思われもし冬の寒さは風邪がからだからいっこうに出て往こうとしない、きっとおれなんぞはとうに取り憑かれちまっていたにちがいない。そう言えばいつか見た峯に立つ枯れた標木のうえにこそ白くて寂しい冬は在ったな、と思いつつ、いつもより早めの帰宅をした。

2009-02-02

黙祷

ぐっと両のまなぐをおさえる。いまではすっかり冷えて固まってしまった巌っ原の隆起した肌が指す拡がりはなんだか透明な僕らの潤んだ網膜の内側でゆったりと棚引く茜雲をぼんやりとらえて、やぁ山のあんつぁ今夜もきっとしばれるねぇ、夜になるとまたきぃんと鳴って何億も昔の星たちの残光がうす蒼くなったりするのをやっぱりただ黙ってじっとして、そのとおり黒くてなだらかな影のいっそう大きな背中に向かうと誇らしさがこみ上げる、口をきっと結び、息を潜めてまなぐを空ける、すると天球がじんわりと膨らんで夜気がとくとくと溢れてゆく。そうらみろ、そもそも故郷とは古里から離れた人間だけに許された言葉だ、おれはもうとっくにここには居ない。いまではすっかり冷えて固まって巌っ原が拡がり、もはや微塵も動かぬ山と流れてゆく時間とが存在するばかりだ。その男は予てより望んだ自然との合一を果たし、私は両のまなぐからおさえていた手をゆっくりと外した。夜空では星が尾を牽いてながれていた。