恐らくここ数年食べつづけてきたたべ物のせいのこともあるので、私が肌着のギャザーの痒みにさえも目もくれずに手塩にかけて育てた娘たちだけには、窓口で一万円札や五千円札をぴしゃり、びしゃりと平気でやるような真似だけはさせる訳にいかず、池と砂場のある公園までの歩数を確かめるだけの間に、つまりこのぴしゃりが本当にあの重く軋んでいたはずの襖戸や障子戸がすぅっと横滑りしていく瞬間と等しい時間を持ち得た挙げ句のぴしゃりと同じかどうか訊かれてすぐに答えてやることができない。
叢に墜ちた硝子片に面映る空を見下ろし、覗き込もうとするときの、四季に向かってゆくわたしたち、人やけものや草木たち皆の心の持ちようの問題でもある。
表ではまだ微かに地虫の声が響いている。